Vol.50・完―「旧菅原邸」(浜松市西区)趣向凝らした和の意匠
浜松市西区舞阪町の弁天島地区は、明治中期から旅館や別荘が建ち、昭和初期には埋め立て地として大規模に造成された。西野島浦南岸の旧菅原邸は、保養地が並んだかつての“リゾート”の面影を残す、数少ない近代和風建築だ。
浜松市西区舞阪町の弁天島地区は、明治中期から旅館や別荘が建ち、昭和初期には埋め立て地として大規模に造成された。西野島浦南岸の旧菅原邸は、保養地が並んだかつての“リゾート”の面影を残す、数少ない近代和風建築だ。
浜松市西区篠原町の旧東海道沿いにある、縦長窓が印象的な洋館風の建物。3年前、地域住民に惜しまれつつ閉院した「柳本診療院」(昭和2年築)だ。
旧東海道の美しい松並木を抜けると、江戸から30番目の舞坂宿にたどりつく。石垣や一里塚跡などがわずかに残る道の西端にたたずむのが、宿場町の繁栄を今に伝える「舞坂宿脇本陣」(浜松市西区舞阪町)だ。
江戸への御用材、御用米の中継地として栄えた港町掛塚の回船問屋の隆盛をしのばせるのが、3000坪(約9万9000平方メートル)あったといわれる林家の屋敷を囲んでいた伊豆石の塀。東南海地震で一部倒壊したが、敷地の南と西は数十メートルにわたり往時のままだ。
磐田市掛塚は、天竜川の輪中だった。国道150号掛塚橋東の「白羽」交差点を海側に入り、かつての幹線道を150メートルほど行くと、左側に昭和初期の洋風建築、旧掛塚郵便局がある。
天竜川の河口に位置する磐田市掛塚は、江戸時代から明治初期にかけ天竜材集散地の港町として栄え「遠州の小江戸」とも呼ばれた。当時の天竜川は中流も水深が2メートル近くあり、大きな船も出入りできたという。
菊川市丹野地区ののどかな田園風景の中に、市の茶業発展に代々尽力した三橋家の邸宅が残る。長く空き家となっているが、「お茶の三橋さん」と親しみを込めて呼ぶ住民は今なお多い。
龍神伝説が残る御前崎市佐倉の名所、桜ケ池の東。木々に囲まれた神秘的な雰囲気の中に、佐倉家の邸宅が堂々としたたたずまいを見せる。
街の歴史を今に伝える「街並み」が遠州から次々と姿を消しています。
いざ行かん、“再発見の旅”へ。見直してみると、あなたの身近にも“味のある”街並みが眠っているかもしれません。
このサイトでは静岡新聞朝刊西部圏・浜松圏ワイド版の連載「遠州 街並み遺産」(2007年11月−2008年12月)を再編集して、お届けしています。
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